2017年10月26日木曜日

最初のパリ歩き~建築脇見編~

今回フランスに来て初のパリ観光は、この夏神戸へ研修に来ていた男の子のガイド付きでした!

兵庫県では毎年、セーヌ・エ・マルヌ県への人物派遣を行う代わりに、フランス同県の大学から選ばれた学生2名を3ヶ月間研修生として受け入れています。

今夏無事研修を終えた1人、アルノー君の大学院での専門は都市工学で、建築から公共整備から、都市計画に関することすべてに情熱をもっています。
ちなみにパリでは現在、「グラン・パリ計画」という壮大な都市計画プロジェクトが何年にも渡って進んでいます(詳しくは前任のコーディネーターによる記事をご参考に→http://seine2016.exblog.jp/28026518/)。

さて、そんな建築専門生による観光案内の行程は、バスティーユ―セーヌ河沿いにシテ島へ向かってノートルダム大聖堂をちら見―橋を渡ってサン・ルイ島などを渡り歩きルーヴル美術館を通り抜け―コメディーフランセーズの前を通り抜け、オペラ地区でゴール、というものでした。
ピックアップいたします!

オペラ比較
フランス革命発端の場所として有名なバスティーユ広場には、1989年7月13日(フランス革命200年記念祭前夜)に建てられた「オペラバスティーユ(Opéra Bastille)」があります。

 
パリのオペラ座と聞くと、まだまだ日本人には↓のパレ・ガルニエ(Palais Garnier)の印象が強いかと思います。
 
 
ただし、もし鑑賞に行くなら絶対バスティーユが良いそうです。ガルニエは装飾がとても綺麗ですが、演奏の音質は反響効果などが考えられたバスティーユの方が比べ物にならないほど良いようで、「だから外国人観光客はガルニエに行き、フランス人はバスティーユに行くんだ」とのことです。


歴史ある建築物

バスティーユ広場を抜けると、ヴォージュ広場と呼ばれるルイ13世の頃の建物に囲まれた広場と、界隈があります。

ルイ13世像

その周りには、16、17世紀の建築物が立ち並び、今もアパートや店舗として活躍しています。

9月末からの春夏パリコレクションの一環で、歴史建造物と金色モニュメントがコラボしていました。
(※このパリ観光をしたのは10月1週目です)

ここで2人、脇の壁を見つめ、「この辺りは、むかし沼だったから、地盤が緩くてああやって歪んだんだ」という説明を聞きました。言われなければこれは気づきません!
本領発揮です、スイッチが入ったアルノーくんは、
兵庫県での研修時にも見た安藤忠雄建築などについて暫く語ってくれました。
 
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フランス大統領を護衛する馬がいる厩舎

パリ市庁舎(Hôtel de Ville de Paris)への
道を塞ぐこれらのコンテナ群については、後日書きたいと思います。
 
 


工事現場の幕のデザインに感動しました!
ただ、これは観光地としての策で、パリにしかない風景だそうです。


ポン・デザールの今
ルーヴル美術館へと続くポン・デザール(芸術橋)は愛の橋?として有名で、
数年前に日本でもニュースになりましたが、カップルが錠を掛けすぎたため重さに耐えられず壊れてしまいました。
今は修復され綺麗になっています。そして、もう鍵を掛けられないように、欄干にはガラスが貼られました。
それでもやっぱり記念を残したい、と諦めきれない人達はどうしているかというと…
 
街灯に付けたり(上にのぼった!?)

貼られたガラスにマジックで♡ を描いたり…
 
やはりこの橋が良いんですね。
 
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コメディーフランセーズでは、フランスの古典演劇を毎日公演しています。

 
目の前にあるメトロの入り口はこんなに派手です。コメディーを体現?
 
建物の横に回ると小さな窓口があり、ここに上演開始1時間前から並ぶと、5ユーロ(今だと660円ほど)で安くお芝居が見られます。


こうした場所を半日歩き回りました。
おまかせ旅で、名所めぐりではあったものの、1人では知ることの出来ない情報が詰まった一風変わった観光でした。
「とにかくパリは歩いて回れるんだ!」と、神戸ではあまり歩きたがらなかったアルノーくんが言ったときには、本当にパリの建築めぐりを愛しているんだろうなと思いました。
パリにはとても心強い友達がいます!

最後はオペラガルニエ近くのアジア街で日本のラーメンをしみじみと味わいました。
 

2017年10月20日金曜日

Chessy事務所の様子

勤め先であるセーヌ・エ・マルヌ県経済公社(Seine et Marne Développement :通称SMD)の事務所は、パリ都市圏を走るRER線の1駅、ヴァル・ドゥロップ(Val d'Europe)駅の近くにあります。

 駅はゆったりと大きくて明るい雰囲気です。


事務所のあるビルに入ると受付嬢、ではなく、「ビルを守ってまっせ」と言ってくれそうな、安心感のある強面おじさんが座っています。

エントランスホールを抜けてエレベーターにのります。
全部で4階建ての建物(※フランスでは0階があるため、最上階は「3階」)のはずが、ちょっと背伸びをしたこのようなボタン。



電話のよう。組合せ次第で何階でも押せるとしたら、どんなビルでも設置できて経済的なのだろうな。。
などと考えていると、SMDの事務所、3階に到着です。

事務所の入り口ドアを開くと、同僚が真正面に座っています。
ここには9月まで、シルヴィさんという10数年にもわたってコーディネーターのお世話をしてくれた人が座っていましたが。。
実は、先月転職してしまいました。
私も渡仏前にかなりお世話になったものの、お会いしたことはありません。現在はパリで働いているようです。
急なことでSMDのスタッフも皆驚いたそうですが、「キャリアアップのための転職だから応援するわ」という声を聞きました。
いまは、後任のアメリさんがここに座っています。少し年下で、きびきびとして優しく、まじめです。すでにたくさんお世話になり、感謝ばかりの日々です。

ちなみにChessy事務所と呼ばれるこの職場とは別に、セーヌ・エ・マルヌ県の県庁所在地にあたるムラン(Melun)に、SMDの本社があります。
ムランには10数名のスタッフが勤務している一方、Chessy事務所は私も含め4人が在籍しています。4人それぞれが違う部屋で作業をするため仕事中はとても静かですが、皆とても親切です。

事務所の部屋からの眺め

2017年10月17日火曜日

Seine et Marne、今年10月前半の気候

フランスに来て、2週間が経ちました。

渡仏前、パリあたりの緯度ではすでに冬、と覚悟しておりました。
なぜなら、とにかく到着したら寒い、寒いと現地の子に言い聞かされてきたからです。
パリも寒いが、セーヌ・エ・マルヌ県に入るとさらに5度下がるよ!と教え込まれました。
さらに、先輩コーディネーターのブログでも、到着して3度くらいの日が続き…という情報がありました。
私がかつて9月にパリを訪れたときにも、覚悟をしていたにもかかわらず寒くて風邪を引き、寝込んで友達に迷惑をかけた思い出があります。

しかししかし、今回は少し様子が違います。
到着したてはトレンチコートも着てみたのですが、あれ、これから夏に向かうのかしら?というほど穏やかで暖かな気候です。
今は夜ですが、窓を少し開けてタンクトップに短パン、おじさんのような格好で過ごしています。

またセーヌ・エ・マルヌ県の冬はあまり晴れないと聞いていますが、今のところ、一度も傘をさしていません。たった2,3度だけ短時間の局地的大雨に見舞われましたが、それ以降は毎日雲一つない快晴が続いています。

ただ、今週の後半からは天気がぐんと悪くなり、気温もぐっと下がるようです。
パリ近郊の冬は、雪はほとんど降りませんが底冷えする寒さがかなり厳しいです。
冬にパリを観光する際は、カイロと完璧な防備で挑みましょう。

暖かな休日は、半袖姿でテラスで過ごす人もよく見かけました。
 

2017年10月15日日曜日

セーヌとマルヌのほとりから

ブログのタイトル「セーヌとマルヌのほとりから」でもほのめかしていますが、セーヌ・エ・マルヌ県はご存知セーヌ川と、その支流であるマルヌ川が流れる県です。
こんな様子です。



コーディネーターの拠点は、マルヌ川寄りの、2つの川の間にあります。

フランスの区画や県の名称では、そこにある代表的な川や山を使ってで地名を表すことが多くあります。
例えばロワール川とシェール川が流れるロワール・エ・シェール県、
訳せば「ローヌ川河口県」という意味になるブーシュ・デュ・ローヌ県などなど…
また私が大学時代に留学したリヨンは、ローヌ・エ・アルプという地域にあります。ローヌは川、そしてアルプス山脈です。
「兵庫」のように、歴史に由来のある県名を多く持つ日本人には、少々味気ないような気も…?
しかしフランスではこんな風に地名を覚えると、地理の勉強にもなるのです…!

さて、日本とフランス2つの国の交流に関わる小さな1人になるべく、セーヌとマルヌ2つ川の辺から日々考えていきます。

2017年10月9日月曜日

1年間お願いします!

こんにちは。
10月からまる1年間、H29年度日仏交流コーディネーターとしてフランスに滞在し、ブログを書いてゆきます。

活動の中心地はパリの東隣にあるセーヌ・エ・マルヌ県です。

日仏交流コーディネーターとは何かといいますと、兵庫県国際交流協会http://www.hyogo-ip.or.jp/)が友好交流を行うセーヌ・エ・マルヌ経済振興公社(http://www.seine-et-marne-invest.com/)との、人物交流プログラムの1つです。

兵庫県や日本の魅力をセーヌ・エ・マルヌ県でPRする、というのが私の大きな役目です!
活動の内容は主に、経済公社での事務や教育機関(小学校から大学まで)での日本文化・日本語授業の実施、大学での授業の聴講などです。
反対に、このブログを通して、セーヌ・エ・マルヌ県やフランス、ヨーロッパの魅力をみなさんに知ってもらうことも重要な仕事です!

日仏交流コーディネーターの派遣プログラム(H23年度までは日本文化教師という名前)は、なんと1991年から途切れることなくずっと続いています。
その数々の先輩方の中には私の大学時代の先生もいるのだから、感慨深いものです。。
なお、これまでの何年か分のブログも、兵庫県国際交流協会のホームページから読むことができます。
年度ごとにコーディネーターの個性はまったく違い、それぞれのブログがとてもおもしろいです。
ぜひチェックをお願いします。
 ↓
http://www.hyogo-ip.or.jp/assistance/cooperation/exchange03/

私はといえばかなりのほほんと生きておりますが、兵庫県とセーヌ・エ・マルヌ県の交流コーディネーターという貴重な経験を精一杯つとめきれるように、まずは自分が日々のたくさんのことを学んでゆきます。そして得た知識を使って、独特の視点から情報を発信していけたらいいなと考えています。

それでは1年間の私のブログ、どうかよろしくお願い申し上げます!!

無事に帰国しました

ご報告がとても遅くなりましたが、10月の初めに1年間の派遣生活を終え日本へ帰ってきました。 日仏交流コーディネーターとしてセーヌ・エ・マルヌ県に派遣され、仕事でも私生活でも、簡単にはできないような体験を幾つもさせてもらうことができました。県内の複数の教育機関での日本文化紹介や...