2017年12月16日土曜日

来年度 日仏交流コーディネーター応募受付中!!!

フランスに興味がある、フランスで働いてみたい。
日本のことを海外へ広めたい。と思っている兵庫県民のみなさん!

ただいま兵庫県国際交流協会(HIA)では、
平成30年度日仏交流コーディネーターの応募受付中でございます!
 
 応募締め切りは12月25日(月)午後5時必着です。

HIAってどんな場所?
コーディネーターと言うけれど、どんなことするの?
という疑問が絶対あると思います!
そんな方は、ぜひ協会のホームページをご覧になってみてください!


1. HIAトップページ
→http://www.hyogo-ip.or.jp/

2. コーディネーターの応募条件やセーヌ・エ・マルヌ県との交流事業について
→ http://www.hyogo-ip.or.jp/assistance/cooperation/exchange03/

日仏交流コーディネーターになると、2年間事業に関わることになります。
フランスへの派遣1年間と、前後半年ずつのHIAでの勤務という流れです。
渡仏前に技術とメンタルの準備をする機会をもらい、帰ってきたら派遣で得た経験を兵庫県へフィードバックします。

URL2. のページからは、歴代日仏交流コーディネーターおよび日本文化教師(コーディネーターの旧称)による渡仏中に書かれたブログへのアクセスもできます。
ブログはどの年も、コーディネーターの活動内容や、フランス文化の面白い発見などがふんだんに書かれております。
セーヌ・エ・マルヌ県がどんな場所かも分かります♪
読み始めると止まらなくなってしまいます、お時間にはご注意を!笑
(私もどんどん投稿していきます!)


おおよその業務内容は決まっているものの、毎年やることが同じという訳ではありません。
また私は、過去のブログを見たり先輩コーディネーターと会う機会があったとき、派遣されるコーディネーターは毎年まったく違うキャラと目標を持っているなと、感じました。
そしてその個性が活かせる仕事だと思います!

2年間の経験が人生でも大きな出来事になるのは間違いないです。
興味がある、募集条件に合ってる!という方、ぜひ応募お待ちしております!
新しい一歩になるはずです😊

2017年12月10日日曜日

ジョニー・アリディ

という歌手をご存じでしょうか?
フランスのエルビス・プレスリーとも言われ、フランスだけでなく世界でも人気を誇った大御所歌手です。
同僚は「フランスのマイケル・ジャクソン」とまで言っていました。
(日本だと郷ひろみのようなキャラ…?)

先週12月8日の早朝に、そのジョニー・アリディが74歳で亡くなりました。
いまフランス全体が悲しみに沈んでいるようです。
私は名前を何度か聞いたことがあるほどだったのですが(なぜか女性歌手だと思ってたほど無知でしたが…)、普段あまり音楽の話をしない同僚や友達(どちらも若い女性)から立て続けに「ジョニー・アリディが亡くなってショックだ」という話を聞き、すごい人だったのだなと実感します。
ラジオを聴いていても、ニュース番組にも関わらず、亡くなった日から今日までずっとジョニー・アリディの話題しか流れてきません。

大スターが亡くなるときは、悲しい気持ちと一緒に、いなくなるのが「変」という気持ちが起こると、同僚がしみじみ話してくれました。これには何だか共感しました。

とにかく、これからフランスの人に会う予定のある方はジョニー・アリディが良い話題になると思います!
いま多くの国民は、頭の中がジョニー・アリディでいっぱいのようなので。。
ご冥福を祈りながら。

 
お店でも入口の棚がアリディ特集に。
50年間も歌い続けた人なので、CDがずらりと並ぶ棚も存在感があります。


2017年12月4日月曜日

ヨーロッパ探訪その1:エディンバラ

(1か月前ですが)10月下旬から11月上旬、フランスの学校では2週間ほど秋休みがありました。
これは11月1日の諸聖人の祝日「トゥッサン(Toussaint)」に合わせたものです。
私も1日の祝日と週末を使って、最初のヨーロッパ旅行に行ってきました!

兵庫県はパリに海外事務所を構えており、そこからヨーロッパ地域と兵庫県との交流事業を展開しています。ということで、私も(旅行ながら)1年間の派遣期間の中で、できるだけいろんな場所の文化を学んで、ここに書きたいと思っています。

第1弾は、スコットランドのエディンバラへ!
この街へは、ちょうどスコットランドに留学していた高校時代の親友に会いに行きました。
北のちょっと暗いイメージを持っていましたが、、実際行くと、また何度も来たいと思うほど素敵な街でした。

まずはスコットランドについて。
スコットランドといえば、羊、ウイスキー、タータン・チェックのマフラーやキルト(男性が履くスカートみたいな民族衣装)、バグパイプ、などで有名です。

 あちらこちらの白い点々が羊です(スターリング城から)。
電車の移動時などにも、野原にいるのが見えました。

パブ、リカーショップもたくさんありますが、試飲ができるウイスキー博物館もスコットランド各地にあります。
世界のウイスキー約3000種類とともに。。


タータンは、日本ではファッションパターンの1つのとして人気ですが、本場スコットランドでは家系(名字)によって異なる柄と色が決まっています。日本で言えば家紋のようなものですね。
家ごとに違うほどなので、お店には本当にさまざまな種類のタータン製品があり、見ているだけでわくわくします。

スコットランドの名物料理。ハギスという肉料理が有名です。これは説明を細かくすればするほど「美味しくなさそう」とすでに言われてしまったので、簡単に「羊肉のハンバーグのような物」と表しておきます。とても美味しかったです。

 
見た目もちょっと…と言う感じですが、左下のミンチのような物がハギスです。
ゲストハウスのおじさんによる手料理の朝ごはん。私はこれが大好きで毎朝楽しみでした。
左の真っ黒は、イギリス名物ブラックプディングです。




さて、ここからエジンバラ巡り。
 エジンバラタウンは峡谷の谷間に沿って走る電車の線路を境に、南のオールドタウンと北のニュータウンに分かれています。
2タウン合わせて、街自体が世界遺産に登録されています!

 <ニュータウン>
 
料理も美味しいパブ街や、アトリエが並ぶ通りなどがあります。
ニュータウンと言っても18~19世紀頃の都市計画によってつくられたので、やはり歴史ある石造りの素敵な街です。
 
 ニュータウン側には、街のあちこちから見えて目印にもなる(ウォルター・)スコット記念塔があります。
 
 
 
<オールドタウン>
特に観光客が集まるのが、オールドタウンのメイン通りであるロイヤル・マイルです。
ほとんど歩行者天国のようになっていて、タータンなどカシミヤ製品の老舗が並ぶ通りをゆっくり歩けます。
 
 
ロイヤル・マイルではもう必ず誰かがバグパイプを演奏していて、通りのBGMになっています♪
この伝統衣装キルトを履いて街を闊歩する熟年男性(たぶん偉い方)も良く見かけ、以前は「スカート!」とこっそり笑ってしまいましたが、だんだん見慣れてかっこ良くさえ見えてくる?
 
 
エジンバラは『ハリー・ポッター』の作者J.K.ローリングが在住しています。
執筆時にずっと通っていたというカフェがあり、
ちゃっかり観光地になっています。
 
 
<エジンバラ城>
エジンバラの顔。
このお城は、大きくてごつごつした岩山の上に立ち城内へ入る入口が1つしかないため、難攻不落の要塞と言われていたそうです。
歴史的には紀元後初期にはすでに、ここに鉄器時代の要塞があったそうです!
以降常に途切れることなく人が住み続け、王国になってからも数々の国王、王女が改築を重ねてきました。壮大です。
 
エジンバラ城


 


お城への唯一の入口。上の旗(なびいてないですが)はスコットランド国旗とイギリス国旗です。
門の両脇にはスコットランド独立のために戦った2人の英雄の像が立っています。
 
エジンバラ城では見どころがたくさんあるのですが、1つ挙げると、毎日午後1時を知らせるために放たれる空砲「ワン・オクロック・ガン」が有名です。
今ほど時計が正確ではなかった19世紀に、何kmも離れた海で航行中の船に時刻を知らせるために導入されたそうです。
海まで届くために音は相当な大きさで、身構えていなかった人が「うわ!」とか「きゃ!」とか声を挙げるほどでした。
 
 ワン・オクロック・ガンを見るために集まった人々でぎっしりに。これは発射直後で、兵士さんが空砲を撃ったたはずなのですが…やっと写せたときにはもう去っていました。
 
 

旅行をした時期は、「またや!」とつっこんでしまうほど多くのフランス人旅行者がここに休暇を過ごしに来ていました(私も同じですが)。
でもエジンバラでは、周辺国フランスをあまり良く言わない人にも何人か出会いました。
隣国を良く思わない傾向は、やっぱりどの地域でも少しずつあるんでしょうか。。
スコットランド人は独立心が昔からとても強くて、特に民族意識が高いようです。
イングランドに対しても敵対心をもっていて、「イギリス人」と呼ばれることも嫌っていたりすると聞きました(旅の間は気をつけて、「Scottish!」と言うようにしてみました)。 
 
それでも、とにかく街の人はみんな優しかったです。
パブのお兄さんは「X Japan! Baby Metal!」と日本の好きなミュージシャンをひとしきり挙げて歓迎してくれました!
 
 
 


2017年12月3日日曜日

オバマさんがパリに

昨日の晩、オバマ前アメリカ大統領がパリにやって来ました。
今日12月2日のお昼にフランスのマクロン大統領と昼食をとり、前フランス大統領のオランド氏や現パリ市長にも会ったようです。

いま世界中で深刻な問題がたくさんある中、ニュースではとんと聞かなくなったオバマ前大統領の名前を耳にすると、何だか安心する人はたくさんいるのではないでしょうか。

今回の訪問のメインはパリのとあるラジオ局への訪問?だったらしく、各要人との面談もプライベートだったようですが、、
今年11月にはバタクラン劇場などで起こった悲しいテロ事件から2年が経ったパリで、この機会に平和や前向きな未来についてたくさんマクロンさんと話し合っていればいいなと思いました。
オバマ前大統領は5月のフランス大統領選でマクロン氏を支持していましたね。

ちなみにオバマさんが到着した昨日の晩、私も同じパリ8区にいました。
ひょっとしたら数十メートルの距離にオバマさんがいた?と想像すると、ドキドキが止まりません…


(凱旋門も8区にあります。)

2017年11月28日火曜日

天皇誕生日レセプションパーティー

11月上旬に、在フランス日本国大使館で「天皇誕生日祝賀レセプション」が催されました(実際の日にちより大分早い時期でした)。
レセプションでは日本の県や企業などが自慢の食べ物やお酒をふるまっていましたが、私も今回パリにある兵庫県海外事務所のお手伝いをさせてもらいました。

会場の一室 
 
大使のご挨拶中。300人ほどの来場者があったようで、会場は満員でした。

大使や、映画かと思うような華やかな制服を着たご要人、ゲストとして来られる各国の大使館の方など、普段絶対に目にすることのない光景をしっかり心に焼き付けました。


日本で大人気のラーメン店や、香川県から本場の讃岐うどん、そしてこちらも大人気の牛丼など、日本の自慢の食が揃い、大盛況でした。

兵庫県は灘の清酒や兵庫の地酒数種類と、丹波黒豆の豆菓子でもてなしました。
フランス人の日本酒への反応はとても良く、特に辛口を好む人が多かったように思います。
しかしなんといっても黒豆菓子が大人気で、「これはいいわね」と口コミが広がり、満員の会場を抜けて黒豆を食べに戻って来てくれるリピーターも数人いました!!
自然の甘さを生かした日本のお菓子がフランス人にも受けたのは、とても嬉しいことです。
「これはパリでも手に入るの?」と聞かれる方もいましたが、もし買えるなら私もすぐにお店へ行きたいです。パリへの丹波の黒豆進出、いかがでしょうか。



兵庫県パリ事務所のテーブル。
お隣は広島県ブースでした。



2017年11月23日木曜日

朝の日本語教室

11月から週に4回、早朝に日本語の授業をしています。
授業と言っても、大学の正式な日本語授業を受講している学生さんへの補講です。
自由参加で朝8時から始まるので、早起きして日本語を勉強したい学生さんたちが来てくれて、熱心に話を聞いてくれます。

授業ではいろいろなことを実験してみています。
メインは発音の確認や会話の訓練で、ひたすら繰り返してもらったり、会話を覚えて2人ずつ発表してもらったり、皆で問題集を解いたり…

目を覚ましてもらおうと立って輪になって数字を言い合うゲームをしたときは、やはり大学生なので「立つのかよ~」とめんどくさそうにしながらも、楽しくやってくれました。

それから、「これは~です」「あれは~です」と言う練習のために家から時計や手紙、ノートなど本物を持ってきて指すと、のりのりで答えてくれました。
ラジオを出してみたときは「それ持ってきたのかよ!」みたいな笑いが起こりました。。反応が良いとニヤニヤしてしまいます。

週4日のうち3日は日本語学習1年目向け、1日だけ2年目向けで行っていますが、中には「復習もしたいから」と毎日来てくれる学生さんもいます。嬉しいです🙌
寮から教室まで歩いて10分の私は、毎日電車や車で数十分かけてきてくれる子たちに感服しています(最近は5分前に飛び出すことも。。ひんやりな朝の猛ダッシュは目が覚めます)。


2017年11月17日金曜日

ワイン、パン、チーズ

フランスの食事と言えば、これ!と思い浮かぶこの3つ、フランスに来て、本当に欠かせないのだなあとよく感じます。

まず、「フランス人はワインを水のように飲む」とよく聞きます。
もちろんフランス人でも全員が好きという訳ではないようですが、やはり当たり前のようにワインが登場し、食事のお供に瓶がみるみる空くのを見て驚きます。
それから日本と比べて驚くのは、仕事の合間にも飲んでしまうことです。
先日、所属しているSMD(セーヌ・エ・マルヌ県経済振興公社)の全スタッフでの昼食会がありました。
フランスでは職場の歓迎会や送別会、パーティーなどは夜ではなく昼に行うのが普通なのですが、この日も皆でレストランへ行き、まずは飲み物をと注文を取りに来た店員さんに、ほとんど全員がワインで「はーい」と手を挙げていました。
SMD1番のお偉いさんもワインをおともに陽気に話していました。
しかしなんと食事会の後は会議があるからと、大半の人がぴしっと切り替えて職場に戻っていきました。強いです。

つぎにパン(=バゲット)は、レストランでも家の食事でも、まず初めに必ず出てきます。
料理ができるまでのおつまみという感じですが、そのまま食事に入っても食べ続けます。
レストランではパスタやピザを頼んだときにもお構いなく持ってきてくれます。以前「関西人はうどんと炊き込みご飯、ラーメンとチャーハンて、炭水化物×2で食べるのがあり得ない」と言っていた東京出身のフランス文学の先輩に、これはどうかとちょっと聞いてみたいところです。
美味しくて他に何もなくても飽きずに食べられるので、いつも手が止まりません。

それから日本では高くて手を出しにくいチーズも、こちらではとても気軽に買うことができます。
フランスパンと一緒に食べるととにかく美味しく、やっぱり自然とワインに手がのびてしまいます。
以前、日本に住んでいるフランス人の友達が「チーズはフランスのソウルフードで、日本人にとっての納豆みたいなものなんや。匂いの臭いチーズが本当においしいねん」と教えてくれました。(私は納豆を愛しているので、そうか!と深く納得しました。)
農業大国フランスの3点セット、やっぱり土地の食べ物はとても合うように出来ているのだなと思います。

今日(11月16日)はボジョレーヌーヴォー解禁日だったので、ワインにつなげて書いてみました。
フランスでは祝う人は祝うという感じらしく、事務所の同僚アメリはお隣のあばさんがボジョレーを祝うのが好きだから呼ばれると言っていました。
日本でもこの日にワインをたくさん売り出していますよね!
でも解禁日に日本で完璧にワインが用意されてるなんて、考えたらおかしい…
日本に出回るのは実は去年のワインだったりするようです、でもおいしければ何でもいいですね!
検索してみたら「ボジョパ」なんてイベントもあったみたいです。。。🍷

2017年11月13日月曜日

先輩パリジェンヌとのお昼

しばらく書けておらず、これから何回かは回想投稿になってしまいます。。

10月のことですが、パリに在住されている元日本文化教師(日仏交流コーディネーターの旧称)の先輩がご連絡をくださり、初めましてにも関わらず、ご夫婦で美味しいお昼をごちそうしてくださいました。

パリの観光名所があれもこれもと見える、とても素敵なアパルトマンにおじゃましました💮
建物の出入り口、お部屋までの階段、すべて映画で見たようなパリの雰囲気があり、じっくり眺めてしまいました。

勝手に撮ってしまいました。



窓からは、エッフェル塔をはじめいくつも名所が見えました!
右の方のビルは上ると眺めが素晴らしい(らしい)モンパルナスタワーです
感動です。


 

ゆっくりお食事をしながら、セーヌ・エ・マルヌ県経済振興公社や学校での日本文化授業、またフランスと日本の良い所悪い所についても話し合ったり、アドバイスをくださったり、とても有難い時間を過ごしました。

兵庫県国際交流協会からセーヌ・エ・マルヌ県に派遣された先輩方は、語学教師になられた方や現在もヨーロッパにいる方など、皆さんこの経験を生かしていろんな方面で活躍されています。
私も何か目標をもって自分らしい1年を過ごしたいなと思います。何か目標を。。

ところで、フランスでは地区や地域によって家の中から流れてくる音楽に特徴があるというお話をしたのですが、パリの中でもちょっと良い地区ではクラシックの曲(子供が習い事の練習をしていたり)が流れてくると聞き、「花の都パリ」のイメージどおりだと思いました。
ちなみに私の住んでいる所は、好きな街ですが聞こえる音楽はいつもラップ系です。嫌いではないですがこればっかりなのでもういいよって思う時があります。。帰りの電車でもまた、頭を振る若者のイヤホンから打ち込み音がつんつく聞こえてきました。。


素敵な出会いに感謝です!
 


2017年10月26日木曜日

最初のパリ歩き~建築脇見編~

今回フランスに来て初のパリ観光は、この夏神戸へ研修に来ていた男の子のガイド付きでした!

兵庫県では毎年、セーヌ・エ・マルヌ県への人物派遣を行う代わりに、フランス同県の大学から選ばれた学生2名を3ヶ月間研修生として受け入れています。

今夏無事研修を終えた1人、アルノー君の大学院での専門は都市工学で、建築から公共整備から、都市計画に関することすべてに情熱をもっています。
ちなみにパリでは現在、「グラン・パリ計画」という壮大な都市計画プロジェクトが何年にも渡って進んでいます(詳しくは前任のコーディネーターによる記事をご参考に→http://seine2016.exblog.jp/28026518/)。

さて、そんな建築専門生による観光案内の行程は、バスティーユ―セーヌ河沿いにシテ島へ向かってノートルダム大聖堂をちら見―橋を渡ってサン・ルイ島などを渡り歩きルーヴル美術館を通り抜け―コメディーフランセーズの前を通り抜け、オペラ地区でゴール、というものでした。
ピックアップいたします!

オペラ比較
フランス革命発端の場所として有名なバスティーユ広場には、1989年7月13日(フランス革命200年記念祭前夜)に建てられた「オペラバスティーユ(Opéra Bastille)」があります。

 
パリのオペラ座と聞くと、まだまだ日本人には↓のパレ・ガルニエ(Palais Garnier)の印象が強いかと思います。
 
 
ただし、もし鑑賞に行くなら絶対バスティーユが良いそうです。ガルニエは装飾がとても綺麗ですが、演奏の音質は反響効果などが考えられたバスティーユの方が比べ物にならないほど良いようで、「だから外国人観光客はガルニエに行き、フランス人はバスティーユに行くんだ」とのことです。


歴史ある建築物

バスティーユ広場を抜けると、ヴォージュ広場と呼ばれるルイ13世の頃の建物に囲まれた広場と、界隈があります。

ルイ13世像

その周りには、16、17世紀の建築物が立ち並び、今もアパートや店舗として活躍しています。

9月末からの春夏パリコレクションの一環で、歴史建造物と金色モニュメントがコラボしていました。
(※このパリ観光をしたのは10月1週目です)

ここで2人、脇の壁を見つめ、「この辺りは、むかし沼だったから、地盤が緩くてああやって歪んだんだ」という説明を聞きました。言われなければこれは気づきません!
本領発揮です、スイッチが入ったアルノーくんは、
兵庫県での研修時にも見た安藤忠雄建築などについて暫く語ってくれました。
 
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フランス大統領を護衛する馬がいる厩舎

パリ市庁舎(Hôtel de Ville de Paris)への
道を塞ぐこれらのコンテナ群については、後日書きたいと思います。
 
 


工事現場の幕のデザインに感動しました!
ただ、これは観光地としての策で、パリにしかない風景だそうです。


ポン・デザールの今
ルーヴル美術館へと続くポン・デザール(芸術橋)は愛の橋?として有名で、
数年前に日本でもニュースになりましたが、カップルが錠を掛けすぎたため重さに耐えられず壊れてしまいました。
今は修復され綺麗になっています。そして、もう鍵を掛けられないように、欄干にはガラスが貼られました。
それでもやっぱり記念を残したい、と諦めきれない人達はどうしているかというと…
 
街灯に付けたり(上にのぼった!?)

貼られたガラスにマジックで♡ を描いたり…
 
やはりこの橋が良いんですね。
 
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コメディーフランセーズでは、フランスの古典演劇を毎日公演しています。

 
目の前にあるメトロの入り口はこんなに派手です。コメディーを体現?
 
建物の横に回ると小さな窓口があり、ここに上演開始1時間前から並ぶと、5ユーロ(今だと660円ほど)で安くお芝居が見られます。


こうした場所を半日歩き回りました。
おまかせ旅で、名所めぐりではあったものの、1人では知ることの出来ない情報が詰まった一風変わった観光でした。
「とにかくパリは歩いて回れるんだ!」と、神戸ではあまり歩きたがらなかったアルノーくんが言ったときには、本当にパリの建築めぐりを愛しているんだろうなと思いました。
パリにはとても心強い友達がいます!

最後はオペラガルニエ近くのアジア街で日本のラーメンをしみじみと味わいました。
 

2017年10月20日金曜日

Chessy事務所の様子

勤め先であるセーヌ・エ・マルヌ県経済公社(Seine et Marne Développement :通称SMD)の事務所は、パリ都市圏を走るRER線の1駅、ヴァル・ドゥロップ(Val d'Europe)駅の近くにあります。

 駅はゆったりと大きくて明るい雰囲気です。


事務所のあるビルに入ると受付嬢、ではなく、「ビルを守ってまっせ」と言ってくれそうな、安心感のある強面おじさんが座っています。

エントランスホールを抜けてエレベーターにのります。
全部で4階建ての建物(※フランスでは0階があるため、最上階は「3階」)のはずが、ちょっと背伸びをしたこのようなボタン。



電話のよう。組合せ次第で何階でも押せるとしたら、どんなビルでも設置できて経済的なのだろうな。。
などと考えていると、SMDの事務所、3階に到着です。

事務所の入り口ドアを開くと、同僚が真正面に座っています。
ここには9月まで、シルヴィさんという10数年にもわたってコーディネーターのお世話をしてくれた人が座っていましたが。。
実は、先月転職してしまいました。
私も渡仏前にかなりお世話になったものの、お会いしたことはありません。現在はパリで働いているようです。
急なことでSMDのスタッフも皆驚いたそうですが、「キャリアアップのための転職だから応援するわ」という声を聞きました。
いまは、後任のアメリさんがここに座っています。少し年下で、きびきびとして優しく、まじめです。すでにたくさんお世話になり、感謝ばかりの日々です。

ちなみにChessy事務所と呼ばれるこの職場とは別に、セーヌ・エ・マルヌ県の県庁所在地にあたるムラン(Melun)に、SMDの本社があります。
ムランには10数名のスタッフが勤務している一方、Chessy事務所は私も含め4人が在籍しています。4人それぞれが違う部屋で作業をするため仕事中はとても静かですが、皆とても親切です。

事務所の部屋からの眺め

2017年10月17日火曜日

Seine et Marne、今年10月前半の気候

フランスに来て、2週間が経ちました。

渡仏前、パリあたりの緯度ではすでに冬、と覚悟しておりました。
なぜなら、とにかく到着したら寒い、寒いと現地の子に言い聞かされてきたからです。
パリも寒いが、セーヌ・エ・マルヌ県に入るとさらに5度下がるよ!と教え込まれました。
さらに、先輩コーディネーターのブログでも、到着して3度くらいの日が続き…という情報がありました。
私がかつて9月にパリを訪れたときにも、覚悟をしていたにもかかわらず寒くて風邪を引き、寝込んで友達に迷惑をかけた思い出があります。

しかししかし、今回は少し様子が違います。
到着したてはトレンチコートも着てみたのですが、あれ、これから夏に向かうのかしら?というほど穏やかで暖かな気候です。
今は夜ですが、窓を少し開けてタンクトップに短パン、おじさんのような格好で過ごしています。

またセーヌ・エ・マルヌ県の冬はあまり晴れないと聞いていますが、今のところ、一度も傘をさしていません。たった2,3度だけ短時間の局地的大雨に見舞われましたが、それ以降は毎日雲一つない快晴が続いています。

ただ、今週の後半からは天気がぐんと悪くなり、気温もぐっと下がるようです。
パリ近郊の冬は、雪はほとんど降りませんが底冷えする寒さがかなり厳しいです。
冬にパリを観光する際は、カイロと完璧な防備で挑みましょう。

暖かな休日は、半袖姿でテラスで過ごす人もよく見かけました。
 

2017年10月15日日曜日

セーヌとマルヌのほとりから

ブログのタイトル「セーヌとマルヌのほとりから」でもほのめかしていますが、セーヌ・エ・マルヌ県はご存知セーヌ川と、その支流であるマルヌ川が流れる県です。
こんな様子です。



コーディネーターの拠点は、マルヌ川寄りの、2つの川の間にあります。

フランスの区画や県の名称では、そこにある代表的な川や山を使ってで地名を表すことが多くあります。
例えばロワール川とシェール川が流れるロワール・エ・シェール県、
訳せば「ローヌ川河口県」という意味になるブーシュ・デュ・ローヌ県などなど…
また私が大学時代に留学したリヨンは、ローヌ・エ・アルプという地域にあります。ローヌは川、そしてアルプス山脈です。
「兵庫」のように、歴史に由来のある県名を多く持つ日本人には、少々味気ないような気も…?
しかしフランスではこんな風に地名を覚えると、地理の勉強にもなるのです…!

さて、日本とフランス2つの国の交流に関わる小さな1人になるべく、セーヌとマルヌ2つ川の辺から日々考えていきます。

2017年10月9日月曜日

1年間お願いします!

こんにちは。
10月からまる1年間、H29年度日仏交流コーディネーターとしてフランスに滞在し、ブログを書いてゆきます。

活動の中心地はパリの東隣にあるセーヌ・エ・マルヌ県です。

日仏交流コーディネーターとは何かといいますと、兵庫県国際交流協会http://www.hyogo-ip.or.jp/)が友好交流を行うセーヌ・エ・マルヌ経済振興公社(http://www.seine-et-marne-invest.com/)との、人物交流プログラムの1つです。

兵庫県や日本の魅力をセーヌ・エ・マルヌ県でPRする、というのが私の大きな役目です!
活動の内容は主に、経済公社での事務や教育機関(小学校から大学まで)での日本文化・日本語授業の実施、大学での授業の聴講などです。
反対に、このブログを通して、セーヌ・エ・マルヌ県やフランス、ヨーロッパの魅力をみなさんに知ってもらうことも重要な仕事です!

日仏交流コーディネーターの派遣プログラム(H23年度までは日本文化教師という名前)は、なんと1991年から途切れることなくずっと続いています。
その数々の先輩方の中には私の大学時代の先生もいるのだから、感慨深いものです。。
なお、これまでの何年か分のブログも、兵庫県国際交流協会のホームページから読むことができます。
年度ごとにコーディネーターの個性はまったく違い、それぞれのブログがとてもおもしろいです。
ぜひチェックをお願いします。
 ↓
http://www.hyogo-ip.or.jp/assistance/cooperation/exchange03/

私はといえばかなりのほほんと生きておりますが、兵庫県とセーヌ・エ・マルヌ県の交流コーディネーターという貴重な経験を精一杯つとめきれるように、まずは自分が日々のたくさんのことを学んでゆきます。そして得た知識を使って、独特の視点から情報を発信していけたらいいなと考えています。

それでは1年間の私のブログ、どうかよろしくお願い申し上げます!!

無事に帰国しました

ご報告がとても遅くなりましたが、10月の初めに1年間の派遣生活を終え日本へ帰ってきました。 日仏交流コーディネーターとしてセーヌ・エ・マルヌ県に派遣され、仕事でも私生活でも、簡単にはできないような体験を幾つもさせてもらうことができました。県内の複数の教育機関での日本文化紹介や...